コラム・事例集

公開日時
2017/10/03 00:00:00
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【 事業承継 】レポート① 栃木県:上野ファーム 代表 上野和則氏

この記事の執筆者
株式会社船井アグリフードシステム研究所 所長 楠元武久

「長男として先祖の土地を守りなさい」とずっと言われていました。でも養豚の仕事が好きになれず高校生の頃は獣医になりたいと考えていました。

 上野家は栃木県の下野という場所で代々続く農業の家系です。自分は3兄弟でしたが上の二人が姉だったので物心をついた頃から、家の跡継ぎは自分だという意識はありました。そうなると「自分も農業をやらないと駄目なのか?」という迷いは早い時期からありました。「お前が先祖代々の土地を守りなさい」という事はずっと言われてきました。しかし父親の仕事をしている姿を傍で見ていて養豚の仕事はどうも好きになれませんでした。たまに訪問する技術者の獣医の姿のほうがかっこよく、最初は獣医になりたいと思いました。
でも、学力の問題からあえなく断念。ならば大学は農学部で農業経営を学ぼうと思いました。結果、大学では4年間、自由に遊ばせてもらい、卒業する頃には「農業を継ごう」という決心が固まりました。

単純に父の農業と継ぐのでは面白くない。自分は父親とは違う自ら新たな農業を始めたい。

 上野家は分家ながらも江戸時代から続く農業の家で、先祖代々、後継人になった者は新たな事業を興すという“暗黙のルール”みたいなものがありました。父親もそれまでの米作に加えて、養豚業を新たに興しました。だから自分も単純に父の農業を継ぐのではなく、新たな作物を始めようと思いました。選んだ品目がアスパラです。単価が高くこの地域では競合が少ないという理由から判断しました。栃木県でアスパラの生産を広めたいと考える行政の後押しもありました。 ただ、当然アスパラの事など何も分からないので県に相談して「どこか技術を学べる受け入れ先はないか」探してもらいました。農業大学校に行っても良かったのですが、ここから先さらに4年間勉強するのは長いな、と思いました。決局、研修を受けいれてくれる生産者が佐賀県で見つかり、アスパラの栽培を勉強する事ができました。予定どおり1年間学んで実家に戻る事になりました。

実家を手伝い始めてすぐに父親と衝突。「今すぐに俺をクビにしてくれ!」と言いました。

 実家で父親の仕事の手伝いをしていると、何かと衝突する機会が増えるのです。ある日、経営方針について意見が合わず、ついに大喧嘩にまで発展。「いますぐ、俺をクビにするか、俺のやり方を認めるか、決めてくれ」と叫びました。たまたま、祖父母がそこにいたので「ちょうどいいので、ばぁちゃんが証人になってくれ」とまで言いました。大議論の末、結果として、自分が手がけるアスパラの栽培については口座を分けて好きにやる事を認めてもらいました。その代わりに自分も父親の水稲の手伝いもするが、その際は父親のやり方に合わせるという事になりました。 
この時はそれで落ち着いたのですが、冷静になって考えると、アスパラ生産単体では経営が成立しない事が分かりました。JAの部会に入り、農協を通じて市場出荷をしたのですが、市場には「秀品」が多いため、経営を成り立たせるにはハードルが高いものでした。喧嘩の一件以来、アスパラの経営は父親の経営とは口座を分けたので、いまさら赤字の補填をお願いする訳にはいきません。誰も助けてはくれませんでしたから、販売先を見直さざるを得なかったのです。?
手っ取り早いのが直売所に持ち込む事でしたので、地域の直売所への出荷を始めました。これが良かったです、アスパラの出荷者が自分ともう1名くらいしかいなかったので競合が少ない。すぐに軌道にのり直売所だけでも800万円の売り上げになりました。

地元での評判から自信がついてきたので直接販売を開始、地元の飲食店、量販店、仲卸なども開拓しました。有名シェフも応援してくれました。

 安定したお客さんがつくと、自分の作るアスパラの品質に自信もついてきたので、営業に本腰を入れて直接販売を開始しました。また、地元の飲食店、量販店、仲卸なども開拓しました。仲間とインターネットショップも開設、順調な滑り出しに意外に自分は営業に向いていると思いました。最初は注文が欲しくて、飲食店などに少量でも配達もしていましたが注文が増えていくと対応できなくなり、今では申し訳ないのですが、ある程度の量を取り引きしてくれるお客さんのみ出荷するようにしています。こうして完全に独立採算で食えるようになりました。今では、お客さんから「アスパラ以外の品も紹介してよ」と言われますので、農家の仲間のネットワークも広げて、アスパラ以外の品も提案しようと思います。こうして事業が軌道化、2年前に父親から代表を任されました。今ではお金の管理もすべて自分がやっています。これまでは給与を貰う身だったが、逆に父親に給与を払う立場になったのです。

 どうやら父親は「自分が65歳になったら、子供に経営を譲る」と決めていたようです。
 がむしゃらに頑張ってきて、なんとか父親から“代表”として認めてもらえるようになったのですが、今こうして改めて振り返ると、父親は事業を承継させるプランを数年前から立てていたのでしょう。実際に予定していた65歳になり年金も貰えて補助金もそれなりに貰えて余裕が出てきて、勇退する気持ちになったのだと思います。自分はアスパラをやり、父親とは違う方向に進めた、アスパラについては父親よりも詳しいので、口を出される事もなく、とても働き易い環境だったと思います。でも、これも父親の描いた計画どおりだったのかもしれません。 これからTPPなど農業をめぐる環境は厳しくなると言われていますが、私の手がけるアスパラは鮮度を重視しています。アスパラは収穫後にどんどん味や食感が変わって、新鮮なものが 一番、美味しいのです。上野ファームは、そこを差別化できるので海外からの輸入品の影響は起きないと思っています。 将来的には「水稲」と「アスパラ」の二本柱の経営で双方とも規模を拡大していけると見込んでいます。

事業を息子に任せる、そんな勇気が出せない農家さんが多いのだと思います。

 自分の仲間の農家も「栽培は任せてもらえるようになったのだが、帳簿は見せて貰えない」というケースが多いようです。ただ自分も代表になったとはいえ、土地の売買や金融機関との付き合いなど、親父の信用があってこそ商売が出来ているところもあります。それでも仲間の話では、ウチのようなケースは少ないと聞きます。経営の内容や資金繰りの事など、知らされる事なく、父親が体を壊して急に経営を任される様なケースも多いと聞きます。息子に教えたくない借金があるとか、不明瞭な会計処理をしているケースがあるようですが、ウチは早くから経営の情報が見られる状態にありましたのである意味では、幸運だったと思います。ちなみに自分の子供は女の子二人なのですが、自分と同じように先祖の土地を守ってゆくための教育をするつもりです。




当該コンテンツは、担当コンサルタントの分析・調査に基づき作成されております。


楠元武久(くすもとたけひさ)
株式会社船井総合研究所フェロー/株式会社船井アグリフードシステム研究所 所長
JAグループ、農業生産法人などへのコンサルティングを行う。
近年の講演タイトル:
「組合員の事業承継サポートができるJA職員をどう育てるか?」
「若い農家とJAはどう付き合ってゆけばいいか?」