「イチゴ王国」栃木県。その生産を牽引する最大の産地が、年間約6,800トンを生み出す真岡市です。この一大産地に非農家ながら20代で新規就農を果たしたのが、野澤尚之さん(33歳)。「失敗したことと聞かれれば、それは農業を始めたことかもしれない」と笑う野澤さんは、そもそもなぜ農業という道を選んだのでしょうか。
本記事では、就農5年目の農家が実践する「地の利」を活かした戦略や、直面する資金のやり繰り、そして地域貢献へのビジョンをお伝えします。20〜30代で就農するメリットやリスク、そのリアルな経営課題に深く迫ります。
「俺の価値は6万9千円か」もどかしい給与明細が僕を農家にした
野澤さんの就農の原点は、工場勤務時代に感じた強烈な閉塞感でした。特に決定的だったのが、ある月の給与明細です。三交代制の過酷な勤務にもかかわらず、手取りの振込額は6万9千円。積立金などを引かれる前の額面でも、納得のいく数字ではありませんでした。
「高校を卒業してからすぐ、お菓子工場の製造ラインで働いていました。でも、上司の姿を見れば自分の未来がある程度見えてしまう。『このまま定年まで働くのか』と思ったら、もやもやしてしまって。また、仕事ができる・できないとは無関係な年功序列の給与体系にも、嫌気を覚えました。どれだけ頑張っても正当に評価されない環境は、当時の僕にはとてもつらかったんです」
葛藤の末に工場を辞め、一時はニート生活も経験した野澤さん。転機が訪れたのは、現在の奥さんの紹介で飲食店のアルバイトを始めたことでした。そこで商売の仕組みやお金の流れを肌で感じたことで、「自分で稼ぐ」という新たな可能性を見出します。
「飲食店では売上から原価や人件費、固定費を引いて利益が残るという、商売の基本的な『お金の流れ』を肌で学びました。この経験が今の経営のベースになっていますね。
同時に、定年がなく生涯続けられる仕事を探す中で、たどり着いたのが一次産業でした。中でも農業は、かけた手間がそのまま作物として返ってくる。10の努力をすれば、10応えてくれる。ここにはサラリーマン時代のような理不尽さがない、なんてフェアな世界なんだろうと思ったんです」
「俺の価値はこれっぽっちじゃない」。その反骨心と自らの手で価値を生み出したいという渇望が、野澤さんを畑へと向かわせる原動力となりました。
自分が作りたいものではなく、その土地で成功している品目を選ぶべき
現在はイチゴ農家として生計を立てている野澤さんですが、数ある作物の中で、なぜイチゴを選んだのでしょうか。この問いへの野澤さんの回答は、非常に現実的かつ戦略的でした。
「就農するにあたってイチゴを選んだ理由は、僕の叔父が栃木県益子町でイチゴ農家を営んでいたこと、実家の周りにもイチゴ農家が多かったこと。ただそれだけなんです。もし周りがかんぴょう農家だらけだったら、かんぴょうをやっていたでしょうね」
このように語る野澤さんですが、続く言葉には彼なりの冷静な分析がありました。

「大前提として、作物は『自分が作りたいものではなく、その土地で成功している品目を選ぶべき』です。たとえば、青森でみかんを作りたいと思っても、土地柄的に難しいじゃないですか。名産品には、その土地の気候や風土に合っているという確かな理由があります。また、周りに同じ作物の農家が多ければ、困った時にすぐ技術的な相談ができます。この『地の利』を活かせる作物を選ぶのが、就農後のリスクを減らすことにつながります」
こうした合理的な判断は、作物選びだけにとどまりません。まず就農当初の2年間は、叔父のハウスを「居抜き」で借りることで、大きな初期投資を回避。そこで技術と経営の感覚を掴んでから、真岡市で自分のハウスを建設しました。その際には、日本政策金融公庫の「青年等就農資金」(無利子・無担保)を活用しています。
「借り入れは、事業を成長させるための必要な投資だと捉えています。来期からは年間約280万円の返済が始まりますが、この資金を元手にしっかりと利益を生み出し、計画的に返済していく。経営者として、その責任と覚悟を持って取り組んでいます」
個人の覚悟に加え、野澤さんがもう一つ武器として活用しているのが、地域の強力なバックアップ体制です。
「JAはが野のサポート体制は本当に手厚いです。真岡市はイチゴの特産地だけあって、『次世代就農資金』などの補助金も充実しています。こうした公的な支援制度や組織の力を活用することも、経営を安定させるための重要なスキルだと思います」
「地の利」と「制度」を味方につけ、着実に足場を固めていった野澤さん。しかし経営を長く続けるためには、お金や制度だけでは解決できないもっと泥臭く、重要な要素がありました。
本当に困った時に手を貸してくれるのは地域の仲間
就農直後から現在に至るまで、野澤さんが一貫して大切にしていること。それはネットの情報でも栽培技術でもなく、ローカルな人とのつながりでした。
「ネット検索すれば、栽培技術の情報はいくらでも出てきます。でも本当に困った時に手を貸してくれるのは、地域の先輩や同期、後輩などの仲間たちです。特に農地の確保や設備の居抜き活用といった重要な局面では、地域からの信用がなければ話すら進みません。知らない若者に土地を貸すのは、誰だって不安です。だからこそ、近所への挨拶や菓子折りを持っていくといった基本的な礼儀はもちろん、消防団や商工会、若手農業者の集まりである『4Hクラブ』など、地域のコミュニティには積極的に入るべきです。面倒くさいと斜に構える人もいますが、実際に参加してみると楽しいですし、そこで築いた横のつながりは、いざという時の強力なセーフティネットになります」
野澤さんが所属する真岡市4Hクラブが主催した「どろんこバレーボール大会2025」での活動写真。同クラブは、こうしたイベントを通じて地域活性化にも力を注いでいます。
画像出典:真岡市青少年クラブ協議会 公式Instagram
あわせて、就農前には必ず農政課やJAなどの専門家に相談し、事業計画を確認してもらうことも重要だと説きます。
「もし無謀な計画であれば、行政の担当者がストップをかけてくれます。現に僕の知り合いにも、そこで就農を断念した人がいます。ただそれは挑戦を阻むものではなく、人生が破綻するような失敗を防ぐための心からのアドバイスなんです。プロの意見を聞かずに独りよがりで進めることこそ、もっとも避けるべきリスクです」
地域に溶け込み、先輩や専門家の意見を仰ぐ。その謙虚な姿勢こそが、野澤さんの経営を支える根幹となっています。しかしどれだけ準備をしても、経営を続けてみなければ分からない壁も存在します。
農業経営者として戦っていることを実感する瞬間
就農5年目を迎えた野澤さんですが、資金繰りのプレッシャーとは常に隣り合わせだと語ります。
「イチゴの収穫がない夏場は収入が途絶えるので、通帳の残高が減っていくのを見るのは正直怖いです。生活費のために貯金を切り崩すこともあります。でもこのキャッシュフローの悩みに直面した時、『ああ、自分は経営者として戦っているんだな』と実感する瞬間でもあるんですよね」
会社員時代のように毎月決まった給料が入るわけではない。その厳しさを肌で感じながらも、野澤さんはそれを経営者としての自覚に変えています。また話題は、就農初期に経験した知識不足からくる失敗談へ。
「1年目の確定申告時に青色申告で出そうとしたら『事前の届け出』が必要だと知らず、結局白色申告しかできませんでした。もっと早く調べておけば、節税メリットを受けられたのにと後悔しましたね。他にも栽培面積を増やす計画を進めていた時、もっと早く準備していれば使えた補助金があったんです。慎重になりすぎて申請期限を過ぎてしまったことから、情報収集とスピード感の大切さを痛感しました」
こうした失敗をあえて語るのは、これから続く人たちに同じ思いをしてほしくないからこそ。しかし、経営の課題は過去の失敗だけではありません。野澤さんも今まさに直面している、切実な問題がありました。
「パック詰めが時間を奪う」利益を阻む壁と6次化への展望
現在の経営体制は、野澤さんご夫婦とお父様、パートスタッフの計4人。そんな少数精鋭で切り盛りする中で最大の壁となっているのが、作業の効率化です。特に収穫後のパック詰めには、頭を悩ませているといいます。
「パック詰めはまさに『時間泥棒』で、収穫と同じくらいの時間がかかります。JAのパッケージセンターに委託すれば作業は減りますが、手数料がかかるため利益率が下がってしまうんですね。利益を取るか、時間を取るか。このジレンマは常にあります」

イチゴのパック詰めに使用される機械。繁忙期にはお母様も手伝ってくれるとのこと。
加えて働き手の確保も容易ではありません。季節労働である農業では通年雇用が難しく、社会保険料の負担も重くのしかかります。そこで野澤さんが模索しているのが、地域内での労働力のシェアリングです。
「たとえば、夏が繁忙期の梨農家さんと連携して、冬はうちのイチゴを手伝ってもらう。そうやって地域全体で雇用を循環させる仕組みが作れないかと考えています」
また、販路についても新たな挑戦を始めています。現在の主力であるJA出荷に加え、BtoCへの販売にも徐々に力を入れています。
「JA出荷の場合、輸送中に傷まないよう完全に熟す前の『青め』の状態で収穫する必要があります。ただ一人の生産者としては、一番美味しい完熟のイチゴを食べてほしいという想いがあります。だからこそ、ふるさと納税やECサイトを通じて、完熟イチゴを直接消費者に届ける取り組みを徐々に強化しています」
そして、野澤さんの視線はさらに先、地域の未来へと向けられています。
「僕の地元である旧二宮町(現・真岡市)はこれだけイチゴの産地なのに、専門のカフェやショップがほとんどないんです。あくまで構想段階ですが、近い内に新設される予定の道路沿いに店を構えて、自分が一歩を踏み出してみる。そうすれば周りの農家も追随して、この一帯が『イチゴストリート』のようになるかもしれない。
そうなったら地域全体がもっと面白くなるはず!…なんてことを想像しながら、日々イチゴの生産に向き合っています」
ただイチゴを作るだけでなく、この産地をもっと魅力的にしたい。野澤さんの考えや行動は、地域の未来を少しずつ、でも確実に変えていく原動力となっています。
「農業を始めたのが失敗」の真意と、次世代へつなぐバトン
取材の終盤、野澤さんは「失敗したことと聞かれれば、それは農業を始めたことかもしれない」と笑いました。その言葉の裏には、不安定な収入や終わりのない労働といった、経営者だけが知る重圧があります。それでも彼がこの道を進み続けるのは、自分の人生を主体的に生き、地域の未来に貢献したいという強い想いがあるからです。
「僕が農家を続けられているのは、そもそも『地の利』を築いてくれた先人たちの恩恵があるからこそ。だからそのバトンを受け取った世代として、今度は僕らがこの産地をもっと面白い場所にして、次の世代に渡す責任があると思うんです。ゆくゆくは三次産業のように『若い世代』から選ばれる職にしていきたいと、本気で思っています」
野澤さんの視線は、目の前のイチゴだけでなく、この土地の30年後を見据えています。リスクを背負い、泥臭く、しかし戦略的に未来を切り拓く。その挑戦は、次世代の農業経営者が目指すべき一つの姿とも言えるでしょう。
【取材協力】
いちご屋なお(野澤 尚之)
栃木県真岡市にて、こだわりの完熟イチゴを生産する若手農家。
日々の農園の様子や最新情報はInstagramで発信中。
Instagram: @ichigoya_nao158_70
当該コンテンツは、担当コンサルタントの分析・調査に基づき作成されています。
公開日
