家庭菜園が楽しくなってきた頃、ふと頭をよぎる問いがあります。「このまま続けたら、農家になれるんだろうか」。
土地もなく、農家の知り合いもおらず、何から始めればいいかもわからない──。そんな地点から農家になった人がいます。
兵庫県神戸市北区淡河町(おうごちょう)で野菜を育てる、森本聖子(もりもと・しょうこ)さん。ベランダ菜園から始まった森本さんの15年あまりの歩みには、その問いに応えるたしかな道のりがありました。
はじまりは台所でカットしたネギの根っこ
兵庫県にて。森本聖子さん。
神戸生まれ神戸育ちの森本さん。現在は淡河町の段々畑の麓で、少量多品目の野菜をつくる農家です。新規就農から15年あまり。そんな森本さんの農業のはじまりは、台所からでした。
社会人になってマンションで自炊を始めた頃、森本さんはある不満を抱えていたそうです。ネギや大葉といった薬味は、ちょっとしか使わないのに束で買わなければならない。残った分は冷蔵庫で傷んで、ムダになる。
「これ、効率悪いな」と感じていたある日、ふと目にした情報から根っこがあれば再生する野菜があることを知ります。ネギがそのひとつでした。
家庭菜園ならではの限界
台所で切り落としたネギの根を育ててみる。それが森本さんの一歩目でした。
その後はハーブ類やニンジンなど、興味のおもむくままに挑戦し、気づけばベランダはプランターで埋め尽くされていたといいます。
ただ楽しくなればなるほど、壁も見えてきました。プランターの土はワンシーズンでスカスカになり、ベランダという限られたスペースでは管理するのにも限界がある。環境そのものを変える必要があると、森本さんは動き出しました。
農家になるにはどうしたらいいのか
プランターでは体験し得ないほどの豊作を経て、ふと立ち寄った道の駅で「私も出してみたい」。内なる想いを契機として農家になるのを真剣に考えはじめていました。
森本さんは、神戸市内で貸し農園を探し始めます。なかでも実家から近かったのが、淡河町の貸し農園でした。市街地の自宅から片道40〜50分の通いでしたが、森本さんの野菜づくりにかける想いは強く、最初から2区画(約60平米)を借りたそうです。
そして初年度には、プランターでは体験し得ないほどの豊作を目の当たりにします。友達にも実家にも配りきれないほどの量です。そんな時にふと立ち寄った道の駅で売られている地元の野菜を見て、「私も出してみたい」と思い始めたのも、この頃でした。
そんな高揚感のなかで森本さんは、「農家になるには、どうしたらいいのか」を真剣に考えはじめます。
独りでは見つけられなかった「農家になる手段」
貸し農園で豊作を経験した森本さんは、「道の駅に出してみたい」と考えるようになりました。ところがいざ調べてみると、道の駅に出荷するには農家として正会員にならなければならないことが判明します。では農家とはどうすればなれるのか。行政が出している情報を見ても、森本さんが求めていた答えはなかなか見えてきません。
調べても行政に聞いても道が見えなかった
「農地法みたいな。なんだこれは。第三条許可ってなんだみたいな」
知らない言葉が次々に出てきて、調べても調べても、農家になる道筋が見えてこない。
行政の窓口に相談しに行くも、「何が目的や?」とあしらわれるだけだったとのこと。当時の森本さんは30歳。まだ新規就農を目指す女性がめずらしい時代でした。行政の担当者からすれば、本気かどうかの判断が難しかったのかもしれません。
そんな行き詰まりを感じる状況から抜け出すヒントになったのが、三宮で開講していた駅前就農講座でした。駅前就農講座の主催は兵庫県。仕事終わりに寄れる時間帯で週に一度、座学で農業を学べる講座で、森本さんはここに通い始めます。
同時に駅前就農講座は、ただの入門セミナーではなかったことも知ります。「兵庫楽農生活センター」が運営する1年間の「就農コース」──実質的な職業訓練校への入り口でもあったのです。
想像よりも厳しい生産者としての覚悟
狭き門をくぐり抜けて進んだ就農コース。容赦なく怒られる厳しい日々に涙を流したことも。ただしかしながら、厳しい講師陣は非農家出身の森本さんにと農家をつないでくれる唯一の存在でした。
講座を受けた森本さんは、次のステップとして、就農コースへと進むことを決意します。定員はおよそ20名で、面談を経て合否が決まるという狭き門。
落とされることを前提に挑んだ森本さんですが、体力への自信と会社を辞める覚悟をアピールした結果、その枠に滑り込みます。
翌年から始まったカリキュラムは、実践的な農業経営そのものでした。1年で1,200時間以上の研修を積みながら、出荷まで行う。「実際にはもう365日毎日通うことになった」と、森本さんは振り返ります。
同期には早期定年を前にした男性も多く、森本さんは「浮いていた」と笑います。
講師陣は元・県の農業指導員やJAのOBで、容赦なく怒られる日々だったといいます。特に森本さんの記憶に残っているのは、育苗にまつわるトラブルでした。育苗ハウスの温度調整を誤った際には、容赦のない播州弁(ばんしゅうべん)で叱られたとのこと。
「大人になってこんな怒られ方するんや、ってぐらい怒られましたね。多分、泣きましたね」
それでも非農家出身の森本さんにとって講師陣は、農家になるための唯一の道をつないでくれる存在でした。
持ち土地ゼロからの農地探し
森本さんが通った就農コースですが、一年間終えたとしても、その後の農地が自動的に用意されるわけではありません。農地は自力で探さなければならず、非農家出身者にとってはここからが本番でした。
農地は誰かが間に立たないと借りられない
頼れるのはコースの講師陣。地元に顔が利く先生方に、「この辺りでいいところはないですか」と頭を下げて回るしかない。
同期のほとんどは、野菜の営農で盛んな神戸市西区を希望していました。平地が多く、水はけも良い人気のエリアです。ただ森本さんはそちらには向かいませんでした。
「なんかとても戦える気がしなくって」
新規就農者と先輩農家が入り混じる激戦区で自分が勝負する姿は、どうしても思い描けなかったといいます。
一方、森本さんの頭にあったのは、貸し農園で通っていた淡河町でした。中山間地ならではの段々畑の風景がもともと好きだったこと。そして10人ほどいた講師陣の中に、淡河出身の先生が一人いたこと。その先生に「淡河で貸し農園をしていた」と、伝えたことをきっかけに、森本さんは淡河町に最初の農地を手にします。
「誰かしらやっぱ間に結局立ってるパターンしかない」──森本さんの言葉には、自ら経験してきた重みがありました。
非農家出身が農地を確保するには、県の研修を経由したり、農家さんの下で研修生として入ったりすることが第一歩。そのうえで、その地域に住む誰かが間に立ってくれることが、農地につながる現実的な道筋となります。
また就農から3年ほどは、赤字が続いたとのこと。当時は家族の支えもあったおかげで、森本さんは焦らず自分の畑と向き合う時間を持てたといいます。
中古ハウスを同期と分け合った
農地を確保した後には、ビニールハウスや道具、設備の調達が待っています。新品に手が出せなかった森本さんは、引退する農家さんから出た古いハウスを、同期と協力しながら調達。
「一人でっていうよりも、みんなで新規就農したみたいな」
新規就農は、ひとりで成り立つものではありませんでした。
農地を借りただけでは農家になれない
淡河町に農地を借りても、森本さんの暮らしは相変わらず、神戸の市街地にありました。自宅から片道40〜50分かけて畑に通う日々です。
作業をしていると、地元の軽トラが道を走り抜けていきます。運転席の視線は、森本さんの方を確かに捉えている。挨拶をしようと顔を上げると、軽トラはもう走り去った後。淡河での最初の2年半は、そんな日々の連続だったといいます。
よそ者として畑に立っていた2年半
「居住地が村の中にない限りはよそ者」──森本さんは、当時の感覚をこう語ります。農地があってもそこに住んでいなければ、地域の一員にはなれない。その現実に向き合った森本さんに転機が訪れたのは、就農から2年半が経った頃。地元の方が淡河町内の空き家を紹介してくれ、森本さんはそこへ移り住みます。
淡河町への移住。ひらける農村
移住と同時に、森本さんの世界は一気に広がりました。自治会や婦人会、掃除当番。それまで接点のなかった村の仕組みに、農業を通して生活者として加わっていきます。
「よう入ったな、偉いなあんた」
最初は怖いなと構えていた婦人会で、森本さんを迎えたのはそんな温かい言葉でした。掃除当番や寄合、旅行や食事会を重ねるうちに、軽トラの窓越しにしか見えなかった村の内側が、クリアになっていきます。
今では森本さんも村仕事の中で役を任されるようになりました。誰とでも分け隔てなく関わる森本さんの姿を、村の人たちはずっと見ていたのかもしれません。
移住してから森本さんは、いつのまにか淡河町を担う一人になっていました。
契約栽培を手放して見つけた、自分だけの農業
就農当初の森本さんは、神戸市内のレストランへの直配や、契約栽培にも手を伸ばしていました。ただ続けるうちに、ある違和感を覚えます。
契約栽培で気づいた「会社員時代の感覚」
「決まったメニューに合わせて、数か月間同じクオリティの野菜を、同じ量だけ出せるかな」
そう考え始めると、会社員時代の納期に追われる感覚が、気がつけば農業のなかでもよみがえってきたといいます。
「これは楽しくない」と気づいた森本さんは、契約栽培から手を引きます。大規模な単一作物への道も、「なんか工場っぽいなと思って」と選びませんでした。
そうしてたどり着いたのが、少量多品目、西洋野菜を中心としたスタイル。野菜は、ファーマーズマーケットや常設の直売所に託す形に変わりました。
「ちっちゃなファーマーに多分向いてるんですよね」
中山間地の段々畑は、大規模な作付けには向きません。小さく多品目でというスタイルは、森本さんの個性であると同時に、この土地に合った現実的な選択でもありました。
村民として地域の役割を担う森本さんの今
森本さんは野菜の生産にとどまらず、淡河の暮らしと農業に関わるさまざまな役割を託されるようになりました。地元の営農組合のオペレーターや自治会の手伝い、そして新規就農を志す人たちへの講師業──。森本さん自身も「自分は兼業だなという感覚でやっている」と語ります。
そんな森本さんが講師を務めるスクールには、勢いで仕事を辞めようとする若い受講生もいるそうです。そんなとき森本さんは、あえてブレーキをかけるようにしています。
「いきなり全力投球しなくていい。家庭菜園から始めて、貸し農園に広げて、それからでも遅くはない」
森本さんの15年あまりのあゆみが、そのことを教えてくれます。そんな森本さんの今を支えているのが、淡河町での暮らしそのものです。
移住してから現在も森本さんは、淡河町の古民家で暮らしています。隣には一人暮らしのおばあちゃんが住んでいて、森本さんは日々の様子も気にかけています。おばあちゃんは、ストレートな人でした。森本さんにこう言うのだといいます。
「あなたの家が電気ついてるのホッとする」
森本さんも「私もですよ」と返しているのだとか。
台所で切り落としたネギの根から始まった森本さんの歩みは、いつしか淡河町の暮らしを支える農家としての日常になっています。
取材協力|森本聖子さん
兵庫県神戸市北区淡河町で少量多品目の野菜づくりを続けながら、新規就農を志す人たちに向けた講師業にも取り組んでいます。
畑での様子や日々の気づきはInstagramで、本格的に農家を目指したい方に向けた学びの場はマイクロファーマーズスクールで発信されています。
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