
「農地バンクってぶっちゃけどうなんですか」。ある農家がふと漏らした一言。使えば農地が借りられる─名前からはそう思える仕組みが、なぜ現場ではそう受け取られていないのか。実際に使って規模を広げた生産者を訪ね、その実像に迫りました。
「使えば農地を借りられる」ではなかった
農地バンク(正式名称:農地中間管理機構)。その名前からは、使わない農地を預かり、必要とする人へ橋渡ししてくれるような、頼れる仕組みを想像します。ところが調べてみると、そう単純ではありませんでした。
手続きの入り口は市町村ごとにローカルで、窓口ひとつで完結するような手軽さとはほど遠いのが実情。借り手や貸し手は自分で動かなければならない場面が多く、手間はなかなか減りません。
貸し借りの中心になる制度
その一方で、制度としての位置づけは、むしろ重くなっています。2025年4月から農地の貸借は、原則として農地バンクを通す形に改められました。(農地法第3条の許可を受けて、当事者どうしで貸し借りする方法も引き続き残されています。)
あわせて、10年後に誰がどの農地を耕すのかを描く「目標地図」も、全国各地で作成が進められてきました。目標地図は将来に向けた青写真であって、農地の割り当てを確定したものではありません。
担い手は必要に応じて追加され、新しく農業を始める人が地域の農地利用に加わる余地もあります。だから地図はまだ、描かれ続けている途中にあります。
貸し借りの中心となり、将来の地図にも組み込まれた農地バンクに、農家が向き合う場面は、これから否応なく増えていくはずです。それなのに、実際に活用した人の声は、あまり表に出てきません。それならばと、農地バンクを使って規模を広げた生産者を訪ねました。
最初の農地は、農地バンクではなかった
話を聞いたのは、茨城県つくば市の伏田直弘(ふしだ・なおひろ)さんです。「ふしちゃんファーム」の名で知られ、つくば市と常陸太田市に約5ヘクタールの農地を持つ、県内でも有数の有機農業の担い手です。
縁もゆかりもない土地つくば市へ
伏田さんは、農家の生まれでも、茨城の出身でもありません。大阪で生まれ、兵庫で育ち、2015年につくば市で就農しました。
「研修も受けてないですし、茨城の人なんて誰も知らなかった」と、当時を振り返ります。
農地バンクは、伏田さんが就農した年にはすでにありました。ただ、最初の農地を手にした経緯は、農地バンクを通してではありません。
地元のある農業法人から「ここ、誰も使ってないから使ったら」と声をかけられ、地主と直接話をつけて借りる、昔ながらのやり方でした。
裏を返せば、縁もつてもない新参者に回ってくる農地は、そもそも限られていました。実際に紹介されたその土地も、水はけが悪く、トラクターが埋まってしまうような場所でした。
つくば市で見た、農地が動かない理由
つくば市で就農した伏田さん。規模を広げようとした時にも、「農地が借りられない」という壁に突き当たります。
担い手不足や耕作放棄地が話題になる昨今、農地は余っているように思えます。実際、手つかずに見える田畑は、あちこちにあります。ところがそうした農地でさえ、新しく入ってきた人間にはなかなか回ってきません。農地が公の窓口ではなく、地域の水面下の人間関係で動いているからです。
農地が集まる地域の「窓口」
地域の農地の仲介を担う、資材業者の存在も象徴的でした。伏田さんによれば、この業者が地主から農地をまとめて預かり、農家へ紹介しているそうです。農家の側も、付き合いのなかでその業者から資材を購入している。販売と土地の紹介が一体になった、地域の窓口のような仕組みができあがっていました。
そのため、条件の良い農地は既存のつながりのなかで使われることが多く、新しく入ってくる人に回る土地は、限られてしまうようです。
転用への期待、多すぎる農家
土地が動かない理由は、ほかにもあります。つくばエクスプレス沿線やインター周辺では、いつか宅地や商業地に転用できるかもしれないという期待が、地主に農地を手放させません。加えて、小さな農家がひしめき合い、それぞれに事情と思惑があります。
「そもそも農家が多すぎるんですよ」と、伏田さんは言います。関わる人が多いほど、農地は一箇所にまとまっていきません。
自分の足で集めるしかなかった
伏田さんは登記簿を1枚ずつたどって所有者を探しては連絡を取り、足を運んで交渉を重ねました。今では、農地を探すことだけを専門にするスタッフを雇っています。
農地バンクに問い合わせれば農地が回ってくるという仕組みは、ここにはありませんでした。
そんな伏田さんにも、農地バンクを通してまとまった農地を借りられた経験があります。場所は同じ、茨城県の常陸太田市です。
常陸太田市で農地バンクが力になった
新たに手にした常陸太田市の農地は、もともと農地バンクの管理下にありました。以前は別の農業法人が使っていた土地でしたが、その撤退にともない、農地バンクに戻ってきた形です。そして次の担い手を探すべく、県主導のもと、伏田さんに話が持ち込まれました。
あとは、借りるかどうかを返事するだけ。つくば市で農地を集めるのに費やした、あの手間と時間はいりませんでした。
「めっちゃ楽でしたよ。地主さんと交渉する必要もない。もう中間(農地バンク)で終わってるんで」
土地改良を支えた行政の伴走
もっとも、そうして手にした農地は、前の借り手が手を引いたのも無理はない状態でした。石が多く、トラクターの爪は半年で使いものにならないほど。水はけも悪く、1年たっても水が抜けきらず、ハウスの中にドブのような匂いが漂うこともあったといいます。
それでも伏田さんは、その土地を見限りませんでした。よそから土を入れ、地中に暗渠を通し、バイオ炭を混ぜ込むなど、手を尽くしながら、作物の育つ農地へと今も改良を続けています。
これだけの土地の造り直しに踏み出せた背景には、行政の伴走がありました。県の公社が造成の事業で土地を整え、地権者への説明会を開き、書類の手続きまで引き受けていたのです。
「ここまでやってくれるのは、茨城だけですよ」
ただし本人いわく、それも茨城県の中で農業の振興に力を入れる「県北に限って」の話でした。
同じ制度でも地域によって変わる
農地バンクが土地を用意しても、そこで営農できるとは限りません。
伏田さんが関わった県内の別の地域では、住宅地の近くにビニールハウスを建てると景観が損なわれるとして、周辺の住民から反対の声が上がりました。結局その土地に着工することはできず、今はそば畑になっているそうです。
制度が農地を差し出しても、それを受け入れる地域の側の事情ひとつで、話は頓挫することもあるのです。
常陸太田市で農地バンクがここまで力になったのは、県と公社、市町村の担当者が土地を整えるところまで動いたからでした。ただそれは制度に必ず備わったものではなく、政策と人と時期がたまたま噛み合った結果にすぎませんでした。
現に、伏田さんが新たに農地を広げようとしている他の地域では、農地バンクは頼れる相談先にありません。どこが空いていて、誰が持っているのかもはっきりせず、持ち主に会おうにも遠くへ移り住んで、連絡すら取れないことが多い。土地を探して交渉するその足の部分は、伏田さん自身が担っています。
制度としての農地バンクは全国にありますが、それを動かす人と体制が地域になければ、看板があるだけで、実際には頼りようがないのです。
地図と現実の間にある壁
10年後に誰がどの農地を耕すのか─冒頭で触れた「目標地図」は、その見通しをまとめたもので、全国の市町村が2025年3月末を1つの区切りとして作成を進めてきました。
座談会で農地はまとまらない
問題はその先です。地図に将来の姿を描くことと、実際に農地の貸し借りを動かしていくことの間には、隔たりがあります。伏田さんは、この地図を話し合う座談会に出る側ですが、その運用には懐疑的でした。
「無理です。利害が挟まりますから」
地図の上でどう線を引こうと、実際に誰がどの農地を持つかは、農家それぞれの損得に直結します。話し合いの場でその調整までまとめるのは難しい、というのです。しかも、市外にいる農地の借り手は、そもそも座談会に顔を出さないことも多い。それでも伏田さんは、「やらないよりはまし」だとも言います。
ふだん顔を合わせない人が集まり、地域の現状を共有する。その積み重ねには意味がある、という考えです。
相続でも貸し借りは止まる
農地が動かない理由は、話し合いの場だけにあるのではありません。たとえば、相続の済んでいない農地は、相続人全員の同意を得るのが原則で、それが難しいと手続きは滞りがちです。相続人が各地に散らばっていれば、連絡を取るだけで時間がかかり、そこで話が止まってしまうこともあります。
こうした一筆ごとの手続きを担うのは、市町村の農政担当者や機構の職員です。同じ制度でも、どこまで手をかけて調整するかは、地域によって差が出ます。
どうすれば集積・集約化の話は、前に進むのか。伏田さんの実感は、いきなり全体で結論を出そうとしないこと、というものでした。あらかじめ地域でおおまかな方向を擦り合わせたうえで座談会にのぞむなど、順序を工夫することで、はじめて議論がかみ合うと考えています。
3割の農地は10年後の担い手が決まっていない
とはいえ、描いた地図がそのまま現実になるわけではありません。農水省の集計によると全国で目標地図の対象となった農地のうち、およそ3割は、10年後の受け手がまだ決まっていません。集約の道筋まで描けているのは、1割ほどにとどまります。
地図を現実の貸し借りへつなげる作業は、まだ始まったばかりなのです。
農地が動く条件は「損得」
農地が動くかどうかを左右するのは、突き詰めれば「持ち続けることの損得」です。
わかりやすいのが、水田と畑の違いです。
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