出遅れた農業のICT化
この四半世紀における情報科学や情報通信技術(以下ICT)の発展は目覚ましい。例えば、インターネットやスマホは我々の生活様式を大きく変えてきた。ICTは情報を的確に収集し加工・利用することで、従来非常に効率が悪かったものをこれまでに無い低いコストで効率化することや、それ無しでは到底実現出来なかったことを可能にしている。コンビニや宅急便はもとより、日々の暮らしに必要な情報の容易な収集、オンライン購入、電子マネー、個人の情報発信能力の爆発的向上など、枚挙に暇がない。さらに、人身事故の無い車、障害者の機能回復支援、僻地への医療や教育の提供など、弱者を救う基盤としてもICTは重要な役割を果たしている。実際は多くの産業が、その恩恵受け、UberやAirbnb等に代表されるシェアエコノミーなど全く新しいビジネスモデルも数多く誕生している。そのような中で、やっと機運が高まってきたとは言え、その恩恵から農業はいささか取り残されてしまっている。
農業が他産業と大きく異なる点として、不確実性と地域特異性がある。不確実性は気象条件など人間には管理できない環境要因による事前には予測できない影響であり、地域特異性は、土壌条件、気象条件、水条件、栽培方法、品種などが地域毎に多様で、どこにでも通用する一般化された処方が用意できないということである。つまり、予期できなかった事態への柔軟な対応や地域特性に合わせたカスタマイズが常に求められるという点が農業の特徴となっている。通常このようなカスタマイズには個別のソフトウエアを用意するなど大きなコストが生じ、農業におけるICT普及を阻んだ大きな理由と考えている。
さらに、同じ経営内ですらさまざまなカスタマイズが必要となっているのが日本農業の実態である。従来の生産効率化は、大規模化と単品の大量生産という方向で考えられてきた。しかし、農業でその手法をとるには限界がある。北海道を除けば、大規模化は小規模農地の集積で進められている場合が多く、たとえある程度土地改良が進んだとしても、同じ管理内容は適用できない複数の筆を使わざるを得ないのが実態である。また、規模の大きな圃場を確保したとしても、土壌条件が斉一なことはまれで、広くなればそれだけ栄養状態や水分状態にもばらつきが存在して、それへの対処が必要になってしまう。大型機械化が難しい野菜栽培などは、大規模化そのものが困難な場合も多い。
農業版インダストリー4.0
これまでカスタマイズは非効率の典型として考えられてきた。しかし、ICT最大の貢献は、まさにそのようなカスタマイズを低コストで効率化できることにある。ドイツから提起されたインダストリー4.0はまさにICTを駆使することで、従来大量生産でのみ実現できた低コスト化を少量カスタマイズ生産でも実現しようという提案でもある。インダストリー4.0では高度にネットワーク化された情報流通網を駆使することで、個々の要望の的確な把握とそれに合わせた原料調達、最適化された生産指示に応じて柔軟に対応できる汎化性能の高いロボットなどの生産設備、小口流通にも効率的に対応できるシステムなどが必要となる。そのためには、情報収集のためのIoT(センサー群)、データの相互流通基盤とビッグデータ構築、収集データを分析し指示するためのAIが必要になる。
常にカスタマイズが必要であるという点で、農業はインダストリー4.0的発想の恩恵を受けることができるだろうか。農家経営や流通に関して、例えば、栽培管理情報から農業資材の経費や労賃を算出し、収益計算や減価償却、税務処理まで自動化することなどは他産業で確立した技術がそのまま使える。さらに、流通情報から需給バランスをダイナミックに知ることや、SNS情報による食のトレンドの把握、顧客からの直接発注など、インダストリー4.0化に必須のマーケットイン型の生産を確立するためのICT技術基盤についても同様であろう。ここでは、最も農業を特徴づけている圃場での作物生産そのものについて考えてみたい。一般的に、農業生産では作物の生育情報を常に把握し、不具合があれば必要な行動を起こして、できる限り目標とする生産を実現しようとする。
従来、農家は自ら観測し経験に基づき行動し、自らのカスタマイズを実現してきたが、ICTでそれを置き換え効率化するための第一歩は圃場での状態を知る情報収集システム構築になる。収集が必要になる情報として、気象条件や土壌条件などの「環境情報」、農家が栽培のために行った耕起、播種、施肥、潅水などの「栽培管理情報」、作物の状態に関わる「生育情報」の3種類があり、作物の生育状態はそれまでの環境の状態と栽培管理内容によって決定される。環境情報に関しては、各種の気象センサーや土壌水分センサー、水田水位センサーなど近年急速に発展し、農家が気軽に導入するにはまだ価格的に高いものが多いが商品化も進んでいる。
栽培管理情報については、いわゆる農作業日誌のデジタル版とスマホ、音声入力などを組み合わせて気軽に記録できるシステム、農作業機械に設置したGPSにより作業圃場の場所や運行経路・作業時間などを自動記録するシステム、栽培計画を立案し必要な資材や労力を算出するシステムなどが実装されている。作物生育情報収集に関しては、人手に依存する部分が多く効率化の足かせとなってきたが、ここにきてドローンによる画像から小規模圃場でも効率的かつ高精度に葉面積や病害などの生育状況を把握できるシステム開発などが急速に進んできた。中には、水稲の出穂開花を自動認識する手法も開発されているし、圃場毎の収穫量を自動記録できるコンバインも市販されている。
以上のように圃場での情報収集の効率化は進んできているが、収集情報を活かして栽培管理に活かすためのシステム構築については、温室における自動冠水や水田の水位調節などを除きまだまだ十分とは言えない。現状は、収集データの可視化とマニュアルとの対比で人間が判断して次のアクションを決めている場合や、マニュアルすら無い場合がほとんどである。これには、上で述べた地域特異性という農業の特徴に大きく関係し、どこにでも通用する一般的な解が出しにくいためである。
AIは農業にむいている
従来の手法は、原因と結果を「科学的」に説明するモデル作りをすることにあった。例えば、どのような気温や湿度が続くと病気が発生するかについて、原因と結果を科学的知識でモデル化して病気発生を予測し防除を促すという発想である。しかし、これではあるとあらゆる病気と地域特異性との限りない組みあわせについてモデル化する必要があり、実質的には困難でコスト的もとても見合うものでは無かった。また、関係する要因が多い場合はそのようなモデル化そのものが困難で単純化せざるを得なかった。しかし、AI(人工知能)の登場はその状況を大きく変えつつある。AIは、そのような科学的知識が無くても、また要因が多い場合でも、原因があればどのような結果になるか予測してくれる。極めて単純な例であるが、緑の葉の中にある、一部だけ見える緑のトマトを画像から自動的に見つけ出すのは、これまで相当困難であったが、人間がAIに画像中のどこにトマトがあるかを教えれば、しろうとでもそのような仕組みが作れてしまう。ただし、相当量の事例画像使ってAIに教え込む作業は必須である。
つまり、栽培管理情報、環境情報、生育情報の膨大な事例を蓄積して、いわゆるビッグデータ化して、原因と結果を上手にAI化すれば、いちいち時間をかけて場合毎に科学的知識でモデル化しなくても、直面している場面への適切な対処法を見つけ出すことができることを示している。このアプローチをとれば、篤農家の判断をAI化することも十分に可能性がある。農業生産のように環境、栽培管理が複雑に絡み合っている場面では、今のところ唯一取り得る手段とも言える。もちろん、十分な科学的知識があればそれとAIを組み合わせたしくみはより強力であることが期待できる。また、不確実性に対しても、これまでの膨大に蓄積した気象変動状況からAIで生産リスクを提示して、農家の判断を支援する方法なども既に提案されている。どちらにしても、現在は、IoTを中心とした効率的な情報蓄積が可能になったフェーズであり、蓄積が進めば、意思決定支援に必要なAIも急速に増大すると考えられるが、地域特異性を考えれば、相当部分は自分の圃場でのデータ蓄積に依存していることを認識しなくてはならない。
情報流通基盤とこれからのICTの農業への貢献
他の分野でも同様であるが、ここで言う、農業版インダストリー4.0を実現する上で最も重要となるのは、さまざまなシステムを連携させ情報を効率的に交換・流通させるための基盤の構築となる。そのような基盤無しにはAI活用に必要なビッグデータ化は困難で、データ活用も進まない。これに関して政府主導による農業データ連係基盤(WAGRI,https://wagri.net/)の推進や、米国・欧州を中心としたAgGateway(http://www.aggateway.org/)など、情報流通と利用の起案を確立するための活動が盛んに行われるようになってきているのはとても良いと思っている。
本稿では、農業が他産業と大きく異なる点として、臨機応変なカスタマイズの必要性であり、だからこそICTを活用して農業型インダストリー4.0とも言えるものの実現の重要性を指摘した。そのためには、効率的データ収集のためのIoT、データ連係のための基盤によるビッグデータ化、AIを核としたデータ分析とそれに基づく意思決定による生産の最適化・効率化が道筋になるが、どれをとってもまだ十分ではない。とくにデータ分析と意思決定支援部分については現場で活用するにはデータ蓄積がまだまだ不十分なのが現状である。予想される顧客数の限界からICT導入のコスト的課題もあるが、日本同様に小規模営農が多いアジア・アフリカ諸国にとっても共通部分も多く、それらを新規マーケットとしてとらえながら、より低コストのICTシステムの提供を期待したい。
今回触れなかったが、GPS情報を活用した自動運転トラクターや無人田植機などはすでに実用化され、果樹園などで人間の筋力を支援するアシストスーツなども登場するなど、ICTを活用した農業ロボットの発展も著しい。法律などの整備が進めば、農村における労働力不足や高齢化に対する答えのひとつである。この他、ICTは、単に生産を効率化するだけでなく、化学資材や水、エネルギー利用の最適化など環境保全型の持続的農業生産の実現や、食品ロス軽減のためにも重要なツールであると認識している。さらに言えば、来る食料や水の不足をにらみながら全地球での農業生産を最適化するようなマクロな方針決定にも、課題が複雑なだけにAIを中心としたICTの利用が大いに期待できると思っている。
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