株式会社ハレックスの酒井紀子です。今回のテーマは「観察眼」についてです。
農業を担当するようになってからは様々な会合に出席し、多くの皆様と意見交換をする機会を頂けるようになりました。その中で特に多い質問・意見が「天気予報が当たらないのだけれどどうして?」。私は苦笑いするしかありません(笑)。
ここでは細かい説明は避けたいと思います。
その代りといってはなんですが、「観察眼」についての話を。
地方にはその地方だけの天気の言い伝えやことわざがいくつもあります。
全国共通のものもありますが、地域特有のものが多いようです。
皆様がお住まいの地域にもありませんか?
例えば「あの山に雲がかかると雨が降る」「西風が吹いたら晴れ」など。
現代のように観測機器やコンピュータが無い時代から語り継がれてきたものです。先人たちはどうやってそれを見つけたのでしょうか?それこそ「観察眼」にほかなりません。毎日自分が住んでいる地域の様子をじっくりと観察し、天気につながる法則を見出していったのでしょう。この天気の言い伝えやことわざ、実は気象学的に説明がつくものが多いのです。例えば「山に雲がかかると雨」を説明するとこうです。低気圧や前線が近づいてきて、湿った風(空気)が山の斜面を這い上がっていくとき、空気中の水蒸気が凝結し雲になります。「西風が吹いたら晴れ」は特に太平洋側の地域で多く伝えられています。湿った風は脊梁山脈を越えると、乾燥した西風として吹き下ります。西風が吹いているときは晴れた日が多いことに気づいていたのでしょう。このように、先人たちの観察眼は優れたものだったのです。
ちょうどこの原稿を書いているときにお客様からメールがありました。知り合いの農家の方が送ってきた写真が添付されていました。写真は朝焼けと乳房雲で、嫌な予感がする、○○地区ではひょうが降るのではないかという内容だったそうです。「朝焼け」と「乳房雲」は天気が崩れるときのキーワード。確かにその日は本州付近を寒冷前線が通過している最中で○○地区でも激しい雷雨やひょうの可能性は十分考えられました。その農家の方はそれまでの観察眼でその組み合わせは天気が崩れる可能性があることを知っていたのですね。
また、江戸時代には「日和見(ひよりみ)」という職業がありました。今では日和見という言葉は形勢を伺うという意味で使われていますが、元々は日和=天気を見るという意味で、船を出港させることが出来るかどうかを判断する天気のプロフェッショナルのことを指しました。港の近くの丘の上から遠くの空と海を眺め、風向き・風の強弱・雲の形・雲の色・潮の流れ・海の色・風の湿り具合等々を観察・感得し、船が出港出来るかどうかを判断していたそうです。それこそ経験と観察眼だけが頼りだったことでしょう。当日だけでなく、次の港までの数日間の天気を判断しなければなりません。大切な船荷・乗組員の命を預かっているわけですから、日和見の仕事は真剣で命がけだったのです。
上記の「天気の言い伝え」「日和見」、どちらにも共通しているのが「観察眼」です。昔の人々は観察眼を大切にし、五感をフル回転させていたのでしょう。現代人の私たちは科学の進歩、便利さと引き換えに「観察眼」「五感で感じとる能力」が落ちつつあるように思います。
ここで最初の天気予報が当たらない問題に話を戻します。篤農家で天気予報を使いこなしている方は、毎日天気予報を細かくチェックをしていらっしゃいます。印象に残っているのは、「ピンポイント予報で雨が降るというから見ていたら、いつもあの山の麓までしか降らないんだよね」という話。現代の機器(スマホと最新の天気予報)を使いこなしながら、観察も怠らない!さすがです。実は天気予報にはクセがあり、得意不得意もありますし、時間的・空間的なズレが生じます。その篤農家は天気予報の空間的なズレのクセを観察眼によって理解していたということになります。空間的なズレというのは、雨が予測されていたのはA地点だったが、実際に雨が降ったのは10㎞東のB地点だった、など。天気予報は実に多くの数字を使って計算しますから、その中の一つがズレるとその先の予報がどんどんズレていくのです。この機械的なクセを観察眼で補えれば、日々の天気予報をもっと使いこなしていただけるはずです。また、圃場の細かなデータを取得している方は、そのデータを分析することで自分の圃場だけの法則を見つけられるかもしれませんね。
気象会社として情報を提供するだけでなく、使いこなし方まで提案できるように精進いたします。
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