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(千葉県 『オーガニックすみだ農園』 住田 学)
僕は元々40歳になるまで農業なんてやろうとも思ったことはなかったし、やるつもりも全くありませんでした。それがなぜ農業を始めたのかお話します。
突然訪れた人生の転機
高校卒業まで広島で育ち一浪した後、大学進学で憧れの大都会東京に出てきて青春を謳歌し、そのまま大手旅行会社に意気揚々と就職しました。ちょうど世間はバブルの終焉を迎えており学生時代にはモノや金が溢れた華やかな時代と就職難という両極端の時代を経験し、何とか運良く就職出来たという感じです。特に旅行会社にどうしても行きたかったわけではなく「なんとなく楽しそうだな」と思ったからでした。
仕事はそれなりに楽しかったのですが、なんせ旅行業は手数料商売なので5年経っても全然給料が上がらず20代後半で転職を決意しました。転職先は一部上場の機械メーカーで新規事業を手掛けている部隊の営業職でした。全くの畑違いでしたが営業職という意味では同じで、アポイントを取り訪問し、商談し商品を売り込むという仕事です。
日本の大手企業の多くが年功序列である中、やればやるだけ役職も給料も上がっていくという実にシンプルな仕組みの会社で、最初のうちは自分の努力が認められることにやりがいを感じ猪突猛進の勢いで売り上げを伸ばすことに必死でした。
妻からの「もういいんじゃない?」
そしてあっという間の10年が経ち、それなりの役職とメンバーを抱える立場となりふと考えました。
『会社に売れと言われたものを客の利益よりも売り上げ優先で売り込むことが果たして自分がやりたいことなのか?メンバー達にもそれを強要しなくてはならないのか?』
その会社の営業の仕事は厳しく管理されており、数字を出し続ける為には人よりも努力が必要でした。朝6時に家を出て夜12時前に帰宅するような生活を10年以上続け体も心も疲れ切っており、楽しみといえば週末の海(サーフィン)だけでした。
ある日最寄りの駅からの帰り道で歩きながら眠ってしまい側溝に落ちて頭から血を流して帰宅したことがあり、妻に『そんなになるまで働かなくていいんじゃない』と言われました。
転勤辞令の翌日に辞表提出
そんな中事件が起きたのです。詳しくは話しませんが、とある行動が会社の体制批判と受け止められ、突然の転勤辞令が出たのです。マンションも購入していたし、妻も二人目の子供の出産間際で途方に暮れて帰宅したのを覚えています。その時の妻の一言が「もういいんじゃない?やめちゃえば?マンションの返済も丁度終わったし」でした。
僕はお金の管理が苦手で結婚した時から全て妻まかせのお小遣い制の生活でした。結婚して子供が生まれるまではダブルインカムということもあり、購入したマンションの借金も順調に繰り上げ返済していたようで(全然知らなかった)なんとその時には完済していたのです。
人生にはタイミングってあるんですね。翌日には晴れやかな顔で辞表を提出しました。もちろん次に何をするかなんて一ミリも決まっていませんでした。
自分には帰る場所がある
周りからは「お腹の大きな奥さん抱えてどうするつもり」とか「あんな給料のいい会社辞めるのはもったいない」とか散々言われましたが、なぜだか「まあ何とかなるよね」と思っていました。その時、広島の父親から「これからもしそっちで負けてどうにもならんかったら帰ってこいや。お前たちの帰ってくる場所ぐらいワシが作っちゃるわ」と言われたことも勇気になりました。
「自分は負けても帰る場所があるんじゃの」とほっとして涙が出たのを覚えています。
42歳で踏み出した有機農家の第一歩
前置きが長くなりましたがそこからが農業へどうたどり着いたのか。
まず自分は何をやりたいのか?無職になり時間はいくらでもあるのでゆっくり焦らず考え直しました。そこでいくつかの条件がまとまりました。
■営業は得意で人に物を売るのは好きなのでそれを生かす。
■それなら自分の作った(探した?獲った?育てた?)ものを自分の好きな人に売りたい。
■子供たちに人生に負けた時や苦しい時に帰る場所を作ってやりたい。
