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(茨城県 『マーフィーズファーム』 篠塚政嗣)instagram
2013年に就農し、今年(2024年)でいつの間にか農家12年目になりました。
毎年毎年いろんな事が起こりすぎて、それを乗り越えるのに精いっぱいで、いつの間に11年も経ったんだろう、というのが正直な思いです。
就農5〜6年は近くの市場へ出荷
就農当初、5〜6年くらい僕は近くの市場へ自分が栽培した野菜たちを出荷していました。青果市場というのは基本的に、持ち込んだ野菜たちはすべて買い取ってくれます。それが10箱だろうと100箱だろうと買い取ってもらえます。
ただしなんでも良いというわけではなく、大きさや形、色艶など野菜ごとに定められた規格があり、それに沿ってサイズ分け、等級分けし、決められた個数を指定のダンボール箱に詰めて出荷しなければいけません。
この規格というのは全国一律で統一されている訳ではなく、市場ごとや地域ごとに多少の違いがあったりするようです。
出荷の方法についても、その市場ごとに指定のダンボール箱があったり、コンテナにどさっと積んだままの出荷だったり、各地域で色々あるようです。
僕が出荷していた市場はダンボール箱に詰めて出荷するというところでした。
市場出荷を選んだ理由
なぜ青果市場に出荷するという販路を選んだかというと、祖父の販路をそのまま踏襲したからです。周囲の農家の方々も、青果市場へ出荷するか、JAに出荷するか、その2択のどちらか、という地域なんです。
そこでなぜJAを選択しなかったかというと、先に述べた通り、祖父が市場へ出荷していたから、というのが一番の理由ですが、その他にも僕の場合、自宅と農園が少し離れたところにあり、それぞれ地域を担当するJAが違っていたから、というのも理由のひとつになります。
なにも分からない状態で就農し、肥料や農薬の購入、営農に関する情報や利用できる補助金の相談などのためにJAの組合員になったのですが、その際に言われたのは「住所のあるところのJAに入る」と言うことでした。
