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(熊本県『天草農工房ふぁお』筒井洋充)
脱サラして地方に移住し農業をはじめたというと、パートナーをどう説得したのか疑問に思う方もいるようです。しかし私の妻はまったく反対しませんでした。むしろ歓迎すらしていたように思います。それはなぜなのか。今回は妻が何をしているのかをお話したいと思います。
「自分の仕事を持つ」はリスクヘッジ
私は妻にある条件を提示しました。それは「自分の仕事を持つ」ことです。
ひとつに集中すると効率はよくなりますが、よいときも永遠には続きません。会社なら精算すればいいかもしれませんが、個人は生活が立ち行かなくなってしまうでしょう。将来、私がいなくなったとき、年の離れた妻が自分で生活できる状態をつくるためでもありました。
転機は東日本大震災と産休育休
神奈川出身の妻が地方移住を考えはじめたのは、2011年の東日本大震災だったと言います。交通網が麻痺し人であふれかえっている駅構内や、物流が途絶えガラガラになった店の棚を見て、都市部の脆弱さを感じたそうです。地方移住をしたいといっても、何をどうすればいいかわからない。自分でビジネスするにしても、特にやりたいことがない。おまけに社会人になって数年の自分には、スキルも実績もない。しばらくの間、妻はそう思いながら日々を過ごしていました。
転機となったのは2014年。妻が産休に入っていたときのことです。妻は「育休期間を利用してお試し移住してみよう」と考えたようです。そして育休が終わろうとする頃、「働きながら子どもを一人で育てるのは大変だ。残業も転勤もできない立場で今の仕事を続けても、おもしろくない。だから辞める」そう宣言し、さっさと転職先を決めてしまいました。
やったことのない仕事で自分の適性と好きを見つける
新しい仕事は保険の法人営業の仕事でした。どうせ住む場所も仕事も変わるなら、これまでにやったことのないことがしたい。それが妻の考え方でした。加えて結果重視の営業の仕事ならインセンティブ報酬があり、オフィス勤務と違って時間の融通も利きやすいと考えたようです。運よくいい顧客に恵まれ結果も出ていたので、熊本に引っ越すときも会社は便宜を図ってくれました。八方塞がりだった小豆島の状況を抜け出すには「天草に行った方がいい」と主張したのも妻でした。
