「人手不足が深刻なのは分かっている。でも何から手をつければいいのか…」
「せっかく新しい人が来てくれても、なぜかすぐに辞めてしまう」
全国の多くの農業経営者は、まさにこのような尽きない悩みを抱えているのではないでしょうか。想いだけでは人が集まらず、定着もしない。そんな閉塞感を打ち破るかのように、今、茨城県の筑西地域では少しずつ、確実な変化を遂げています。
本稿では、地域農業の活性化に取り組む茨城県筑西地域を舞台に、人材確保のリアルを前後編でお届けします。前編では、筑西地域農業改良普及センター(以下、普及センター表記)から聞いた話を元に、雇用に関する取り組みや課題の現状についてお伝えします。
「このままでは産地が…」変化の背景にある2つの潮目
これまで家族経営が大半を占めていた筑西地域。2つの大きな流れにより、その常識が揺さぶられています。
大規模化の波
1つ目は、大規模化の波です。
特に水稲を扱う農家において、作業の受託などを通じて経営規模が拡大。中には100ヘクタール規模にまで成長する経営体も現れました。そうなると、もはや家族の労働力だけでは手が回らないという、物理的な限界に直面します。
「さすがに家族では賄いきれない。人を雇おうか」などの声が大規模農家から自然と上がり、徐々に広がり始めたのです。
産地の先細りへの危機感
そして2つ目は、産地の先細りへの危機感でした。
筑西地域は、梨や小玉スイカなどの園芸作物の一大産地でもあります。
一方、生産者の高齢化が避けられず「せっかく育ててきた園地を、もうやりきれないから」と、大切な木を切ってしまう農家も現れ始めました。
このままでは、先人たちが築き上げてきた産地が、自分たちの代で消滅してしまうかもしれない。この静かで確実な衰退への恐怖が、JAや行政、志ある農家たちを突き動かし、人材確保は今まさに取り組むべき課題となったのです。
この変化は、地域農業を支える普及センターの活動にも、明確な影響を与えています。
意識の転換期 “人を外から入れなければ未来はない”
「本当にここ数年で、雇用や人材確保もをきちんとケアしていこう、という活動に変わってきました」と、担当者は語ります。
これまでの経営的な支援は、大規模化を目指す農家の法人化支援が活動の中心でしたが、令和に入ったこの4〜5年で、その重心は人材確保や雇用管理へと大きくシフトしたといいます。
それはまさに、筑西地域全体が“人を外から入れなければ未来はない”という意識へと舵を切り始めた、転換期の訪れを象徴していました。
“どうせ来ないよ”を乗り越える。見えてきた3つの壁と挑戦
地域全体の意識が変わり始めても、その道のりは決して平坦ではありません。「どうせうちの地域には誰も来ないよ」という諦めの声の裏には、乗り越えるべき3つの壁が存在していました。
- 交通と宿泊の壁
- 受け入れ農家側の心理的な壁
- 移住・定住の壁
物理的な交通と宿泊の壁
筑西地域は、一部を除いて公共交通機関が発達しているわけではありません。意欲ある若者が研修に来たくても、車がなければ通うことすら難しいのが現実。では泊まりがけでとなると、今度は滞在場所の確保という問題が立ちはだかります。
「昔は農家さんに泊めてもらうこともありましたが、時代の流れから今はトラブルを懸念する声も多く、なかなか難しいのが実情です」と、担当者は語ってくれました。人様のお子さんを預かるという、農家側の心理的な負担も計り知れません。
しかし、この課題に対し、地域は連携で応えようとしています。桜川市では、寄付により研修や視察時の滞在経費を補助する“サポート基金”が設立されました。また、地域のJAが管理する不動産を、県立の農業大学校などから実習に来る学生が一時的に宿泊先として活用したケースも出てきました。これらの動きからも、地域全体で未来の担い手を支えようという、確かな意志が表立ってきています。
受け入れ農家側の心理的な壁
長年にわたり家族経営を続けてきた農家にとって、家族以外の労働力を“使う”という行為そのものには、一定の抵抗感があります。作業の指示の出し方やコミュニケーションの取り方、そもそも人を雇うという発想自体がなかった、という経営者も少なくないのです。
「『やれる量だけやればいいか』となり、産地が少しずつ細っていく。その現状を変えるには、まず農家さん自身の意識を変える必要がありました」と、課題の認識について担当者は明かしてくれました。
そこで普及センターが主体となり、農家自らが動くためのきっかけづくりを始めました。具体的な活動の一環では、農の人材確保セミナーを開催し、魅力的な求人の作り方や、人を雇う際の法的な義務などを丁寧に解説。
また、地域の農業大学校生を対象とした短期の実習受け入れを農家に促し、家族以外の人と働くという経験を積んでもらう機会を創出しています。これらの普及センターの取り組みが、農家の心理的なハードルを下げることに役立っています。
移住・定住の壁
短期の研修ならまだしも、本格的に就農し、その地で生活を営むとなると“農業ができる家”、つまり作業場や農機具を置くスペースのある住居が不可欠です。市町村には空き家バンク制度があるものの、農業利用を前提としたマッチングは、まだこれからの課題でした。
そしてこの壁に、産地ぐるみで挑んでいるのが筑西地域にある茨城県下妻市です。
市の特産である梨の産地を守るため、“地域おこし協力隊”の制度を活用。就農を前提とした協力隊員を募集し、最長3年間の委嘱期間中は給与を得ながら技術を習得し、委嘱期間終了後に生活できる規模の園地を借り受けて独立を目指すという、研修から就農までを一体で支援する画期的な取り組みをスタートさせています。
筑西地域は、これらの壁から目をそらさず、行政からJA、そして普及センターがそれぞれの立場を活かし、解決への一歩を踏み出し始めています。
これから向き合うべき課題─地域との共存という次なるテーマ
人を呼び込むための市やJAなど組織での仕組みが整ってくると、その次には、より繊細で複雑な個々人の心理的な課題が浮かび上がってきます。それが、地域社会との共存というテーマです。
筑西地域では、まだ外部人材の受け入れが始まったばかりのため、この問題は顕在化していません。しかし、担当者は先行する他地域の事例に、静かに目を向けています。
「新しく地域に入ってきた人材は、良くも悪くも注目されます。『あの人は誰なんだろう』という視線。あるいは『あの働き手は朝が遅いようだ』といった、地域ならではの価値観に基づく評価。そうした言葉にならないプレッシャーが、新しい人材を精神的に疲弊させ、孤立させてしまう可能性も決して否定できません。そして、これは受け入れた一軒の農家だけの努力で解決できる問題ではありません。この課題は、まさにこれから地域全体で真剣に向き合っていくべきものです」と、担当者は強く訴えます。
普及センターは、技術指導や経営支援だけでなく、地域とともに人と人とをつなぐとい う、時代が求める役割を担う。その覚悟が、担当者の言葉には滲んでいました。人材確保への挑戦は、地域社会そのもののあり方を問い直す挑戦でもあるのです。
産地の未来を賭けた挑戦は始まったばかり
産地の存続という大きな課題を前に、“外部人材の受け入れへ”と舵を切った筑西地域。その道のりは、交通や住まいといった物理的な壁から、農家自身の意識改革という心理的な壁まで、決して平坦なものではありません。
しかし、行政やJA、普及センターがそれぞれの立場で連携し、一つひとつの課題に真摯に向き合い、解決への道を歩み始めています。産地の未来を賭けたこの挑戦は、まだ始まったばかりです。
では、この変化の渦中で誰よりも早く取り組み、数々の成功とそれ以上の失敗を繰り返してきた実践者は、何を語るのでしょうか。
後編では筑西地域の先駆者であり、農業経営士としても若手の指導にあたる「マッサン.F」代表・藤田益弘氏から、実践の中で得た経験と学びをお伝えします。
>>後編「即戦力を求めない。失敗から学ぶ人材確保のノウハウ。」を読む
当該コンテンツは、担当コンサルタントの分析・調査に基づき作成されています。
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