Z世代からの農業への関心は、どの程度あるのでしょうか。近年の「なりたい職業ランキング」に農業がトップ10入りすることは、まずありません。しかし、Z世代をはじめとする若い世代の間では、農業への関心が静かに高まっています。
この世間とのギャップを探るため、栃木県真岡市で活躍する32歳の若手農業経営者、児矢野翔吾(こやの・しょうご)さんを訪ねました。
彼が畑に立ったのは、農業への憧れからではありません。「40歳になった自分の給料が見えてしまった。」そのあまりに現実的な想いが挑戦の始まりでした。
農業がしたい!ではなかった。4人分の給料から逆算した生存戦略
SUNNY SIDE FARM代表の児矢野翔吾さん。サラリーマン時代の経験から「自分たちで価格を決めたい」という想いを抱き、このトマトハウスからスタート。
「農業への憧れがあったわけではないんです」。
栃木県真岡市でSUNNY SIDE FARMを営む児矢野翔吾(こやの・しょうご)さんは、少し照れたように、しかしきっぱりと言い切りました。彼の農業への道は、多くの人が想像するような牧歌的な始まりではありません。
サラリーマンとして3年が経った頃、児矢野さんは漠然とした不安を抱えていました。「このまま働いて自分が40歳になった時の給料がある程度見えてしまった。それがなんだか嫌だったんです」。
未来を変えたい。その想いから幼馴染であり、すでに別の事業を手がけていた仲間と4人体制で、新しいビジネスを模索し始めます。手始めに土日の休みを利用してマルシェに出店し、焼きそばやカレーうどんを販売。
その中で、近隣の農家から仕入れたB品の野菜が、主力商品よりも遥かに売れるという事実に気づきます。
「野菜販売は面白いかもしれない」。
そう考えた彼らは、学校給食専門の仲卸業に可能性を見出しますが、すぐに大きな壁にぶつかりました。3ヶ月先の野菜の価格を読んで入札するという、素人にはあまりにも高いハードルです。この経験こそが、彼らの運命を決定づけます。
「価格を自分たちで決められるようになるには、自分たちが生産者になるしかない」。
それは農業への情熱というより、ビジネス上の課題を解決するための、極めて合理的な結論でした。
また、児矢野さん自身、農業を始める前に次のように冷静に自己分析しています。
「一人じゃどうせ無理だろうなと思っていました。生産や販売、経理。一人ですべてをこなせば何かが必ず疎かになる」。
だからこそSUNNY SIDE FARMは、創業時から生産担当の児矢野さん、営業担当の椎名さん、そして経営戦略や労務管理を担当するメンバーと、明確に役割を分担する“チーム”で農業に挑むことを決めたのです。
「スタートの時点で4人分の給料を稼がなければならなかった。利益率を考えると、農協出荷だけでは到底成り立たない。だから、より単価の高い自分たちの売り先を見つけるという選択肢しかなかったんです」。

これからスーパーへと配送されるSUNNY SIDE FARMのミニトマト。自ら販路を開拓することで、彼らは自分たちの手で価値と価格を決める道へと進みます。
また児矢野さんは、「“新規就農”というラベル自体は、販売においては有利に動いたと思います」と振り返ります。自分たちで販路を開拓していく中で、彼らの若さと挑戦する姿勢は、多くの人の心を動かしました。
「『若いのにすごいね、自分たちで販路も考えてるんだ。じゃあトマト持ってきてよ』と言ってもらえることがありました」。
多くの人がハンデと感じがちな新規就農というカテゴリを、彼らは応援を呼ぶ「ブランド」へと見事に転換させました。
痛みから生まれた、チーム農業の危機を救った2つの掟

整然としたハウスとは裏腹に、創業期の彼らは互いのプライドを懸けた議論が日々交わされていました。
4人体制で順調な滑り出しに見えたSUNNY SIDE FARM。しかし創業1〜2年目、チームは早くも決裂の危機を迎えます。
「実は1回だけ、言葉だけでは収まらない衝突があったんです」。
児矢野さんは、当時のことを思い出しながら苦笑いを浮かべました。衝突の原因は、生産担当の自分と販売担当の仲間との間に生じた、わずかなボタンの掛け違いでした。
「販売側はどんどん売っていきたい。でも生産側の僕にも『こういうこだわりのトマトを出したい』というプライドがあったんです」。
お互いの領域に少しずつ足を踏み入れ、意見をぶつけ合う日々。その根底にあったのは、会社を良くしたいという純粋な想いでした。ただその想いが強すぎるあまり、いつしか互いのプライドをかけた戦いへと姿を変えてしまっていたのです。
「今思えば結局そういうのって、何が悪いってプライドなんですよね、それぞれの」。
この痛みを伴う経験から、彼らはチームを存続させるため、そしてより強くするための、暗黙の“掟”を学び取ります。
一つ目の掟|絶対的な信頼と明確な一線
「3年目くらいから、もうお互いの仕事に口を出すのをやめたんです。生産に集中する僕が少し販売が分かってきたからと口を出せば、販売のプロである向こうは面白くない。逆もまた然りです」。
それぞれの領域のプロフェッショナルとして互いを100%信頼し、リスペクトする。そして、自分のテリトリーに責任を持つ代わりに、相手のテリトリーには決して踏み込まない。この明確な一線が、無用な衝突をなくし、チームの専門性を飛躍的に高めることにつながりました。
二つ目の掟|会社のためか”という絶対的な軸
何か意見が食い違った時、彼らは一度立ち止まり、自問自答するようになりました。
「その判断は、自分のプライドやエゴを守るためだけのものではないか?それともSUNNY SIDE FARMという会社にとって、本当に有意義なものなのか?」。
この問いをフィルターにかけることで、個人的な感情論は消え去り、常にチームにとっての最適解を選択できるようになったのです。
殴り合いという最大の危機を乗り越え、彼らは単なる幼馴染から、強固な組織へと進化を遂げました。
人が集まらないなら僕らが折れる。若手農家の雇用術
ハウスで収穫作業にあたるパートスタッフ。彼らが安心して働き続けられる背景には、SUNNY SIDE FARM独自の人事術がありました。
日本のあらゆる産業が直面する人手不足。農業界もその例外ではありません。しかしSUNNY SIDE FARMでは、創業以来一度も外国人実習生を入れることなく、20〜30名のパートスタッフと共に100アールの農園を運営しています。その秘訣はどこにあるのでしょうか。
「まず前提として、わざわざパートで農業を選んで働きたい人なんて、ほぼいないんですよ」。
児矢野さんの言葉は、厳しい現実認識から始まります。カフェや倉庫業など、他に選択肢がある中で、どうすれば人々に選ばれる職場になれるのか。彼らが導き出した答えは、驚くほどシンプルでした。それは、“こちらが働き手の事情に合わせる”という発想の転換です。
人間関係が苦手な人に働きやすい環境を提供する
なぜ、人々はSUNNY SIDE FARMを選ぶのか。
「はっきりとは分かりませんが」と前置きしつつ、児矢野さんはこう分析します。「人間関係が嫌で来る人は多いかもしれません」。
収穫作業は、隣に人がいるといってもトマトの畝で隔てられています。黙々と自分の仕事に集中できるこの環境が、過度なコミュニケーションは苦手という現代のニーズに、期せずして合致しています。
働き手の希望シフトをパズルとして組む
一人ひとりの事情に寄り添い尊重する。その姿勢がスタッフの真剣な、そして楽しそうな表情を生み出しています。
「基本的に向こうの出たい日をあげてもらえれば、その通りにします」。
子育て中の主婦層が多い職場では、急な休みや時間の制約はつきものです。SUNNY SIDE FARMでは、それを問題と捉えず、パズルのピースとして考えます。集まった希望シフトを、児矢野さん自身がパズルを組み合わせるように調整し、日々の人員を確保する。この柔軟性によって、ここでなら働けるという安心感を生んでいます。
リーダーに権限を委譲する
SUNNY SIDE FARMでは、かつて作業マニュアルを作成していましたが、更新が追いつかないため廃止。代わりに収穫や誘引、出荷など各部門に、経験豊富なパートスタッフをリーダーとして社員登用しました。
児矢野さんが教えるのは、このリーダーたちだけ。現場の細かな指導は、すべて彼らに任せます。この権限委譲がリーダーの責任感と、チーム全体の自走力を育んでいます。
「人が集まらないなら、僕らが折れるしかない」。
その覚悟こそが結果として、働き手が集まりやすい魅力的な職場を創り上げていたのです。
売上2000万減の危機から学んだ活路
創業4年目に起こったトマト黄化葉巻病の惨状。しかし、SUNNY SIDE FARMはこの絶望的な状況からでさえ、新たな活路を見出します。
新規就農から走り続けてきたSUNNY SIDE FARM。しかし創業4年目、彼らをかつてない危機が襲います。トマト黄化葉巻病—ウイルスによるトマトの病気が、ハウス全体に蔓延したのです。
「あの時は売上が2000万円くらい落ち込みましたね」。
児矢野さんは、当時を淡々と振り返ります。天候や病気という、努力だけではコントロールできない要因に経営の根幹を揺さぶられる。この大きな試練は、彼らに一つの重要な教訓を刻みつけました。
「やはり生産はリスクが高いな、と」。
この学びが、彼らの事業のあり方を変えるきっかけとなります。それが、自社の弱点を強みに変える“仕入れ販売”でした。
トマトの収穫ができない夏や冬の閑散期に、近隣の農家から旬の野菜を仕入れ、自分たちの販路であるスーパーへ供給する。この一見シンプルな事業には、彼らの経営哲学が凝縮されていました。
まず、スーパーのバイヤーにとって最も重要な“棚を空けない”という約束を守ることで、年間を通じて売り場を支えるパートナーとしての信頼を確立しました。
同時にそれは、農業における課題である雇用の波を解決する一手にもなりました。閑散期にもパートスタッフに安定した仕事を提供することで、経験豊富な人材の流出を防ぎ、組織力を維持することにつながったのです。
そして何よりこの事業は、万が一自社のトマトが再び不作に見舞われたとしても、会社全体の収益を支える第二の柱となります。身をもって知った生産リスクに対する、これ以上ない事業を確立しました。

選果機にあふれる採れたてのミニトマト。真岡市のふるさと納税の返礼品としても人気の一品。
「トマト以外の作物は自分で作る気はないんです。新たな作物に挑戦する農家さんの覚悟のほうが凄い」と評しつつ、児矢野さんは言い切ります。自分たちの強みは何か、弱みは何かを冷静に見極め、不得意な領域は無理をせず、得意な仲間と組む。この徹底した“選択と集中”こそが、厳しい状況から彼らを救い出し、今も飛躍を遂げる原動力なのです。
方向性と師匠選びが大切。未来の仲間に伝えたいこと
7年という歳月を、仲間と共に駆け抜けてきた児矢野さん。これから農業に挑戦しようとしている未来の仲間たちへ、メッセージをお願いしました。
「失敗のリスクを減らすなら、自分に合った師匠を見つけることです」。次に児矢野さんは続けます。「ネットの情報だけを頼りにするのはやめてください。本当に必要なのは、リアルな『お金の流れ』まで包み隠さず教えてくれる人。そして何より重要なのは、その師匠の『出口』、つまり『売り方』が、自分の目指す未来と一致しているかどうかです」。
彼の言葉は、核心を突いていました。例えば、同じイチゴ農家でも、農協へ全量出荷する人と、観光農園を経営する人では、学ぶべき経営戦略はまったく異なります。美味しいイチゴの作り方は同じだったとしても、その先にあるビジネスの形は違うからです。

一見、無機質な鉄骨の柱ですが、これにより元々低かったハウスを高くし、トマトにとって最適な生育環境を構築しています。
「まず自分がどうなりたいのかを徹底的に考える。美味しい作物を作りたいのか、それとも作物でしっかり稼ぎたいのか。そして、その未来をすでに実現している人を探し出し、その人のもとへ飛び込む。成功への9割は、そこで決まると思います」。
自分に合った師匠は、畑にだけいるのではありません。その作物が並ぶスーパーの棚、賑わうマルシェ、活気のある観光農園──その“売り場”にこそ、自分が進むべき道を照らしてくれる、未来の師匠の姿があるのかもしれません。
取材の最後に、児矢野さんは農業というビジネスの根源的な魅力を、こう語ってくれました。
「僕らが7年間続けてきて改めて思う農業の大きなメリットは、『作ったものを必ず誰かが買ってくれる』ということです。僕が新しいスマホを発明しても誰も買いませんが、農産物には必ず出口がある。こんなに可能性に満ちたビジネスは、他にはありません」。
非農家である一人の青年が、仲間と共に農業を再発明した物語。それは特別な才能や環境がなくとも、確かな戦略と覚悟があれば、誰もが未来を切り拓けるという、力強い証明でした。今も成長を続けるSUNNY SIDE FARMは、地域農業そして、農業界全体をけん引する一つの大きな柱です。
SUNNY SIDE FARM
・所在地: 〒321-4324 栃木県真岡市西沼647-2
・TEL:090-5517-8289(児矢野)
・公式サイト: https://sunnysidefarm-tochigi.com/
・Instagram:https://www.instagram.com/_sunny_side_farm_/
当該コンテンツは、担当コンサルタントの分析・調査に基づき作成されています。
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