公開日
(石川県『菜園生活 風来』西田栄喜)
はじめまして 私は石川県能美市で自称日本一小さい農家をしております菜園生活 風来(ふうらい)の店主 の西田栄喜(通称 源さん)と申します。
どのぐらい小さいかというと耕作面積が30アールと 日本の平均農家の1/10以下。だいたいサッカーコートの半分の大きさになります。それでも農家になって4半世紀やってこれました。著書に「小さい農業で稼ぐコツ」(農文協)、「農で1200万円!」があります。
最初から小さい農家にしたかった訳ではない
こう書くと順風満帆だったと思えるかもしれませんが、この連載は「挑戦者たちの奮闘記」ということで、これまであまりどこにも書いてこなかった失敗や葛藤、その時々の岐路について書いていければと思っています。
今でこそキャッチフレーズとして「日本一小さい農家」を名乗ってますが、最初からそうしたかった訳ではなく、しかたなくでした。でもだからこそスモールメリットを活かした固定観念に縛られない農業ができ、そのおかげで今もやれていると実感しています。
私自身は兼業農家の息子として生まれました。小さい頃からゴールデンウイークと言えば田植えの手伝い、夏休みの終わりには稲刈りの手伝いをいうことでなぜこんなことをしなければいけないのだろうと思ったこともあります。
ただお手伝いした日は一人前に扱ってくれ、それが誇らしかったという記憶、また今も粘り強く仕事が出来ているのはその頃があったからだと思います。
今も守っている師匠の教え
小さい頃から人と接するのが好きだった私は大学卒業後バーテンダーになりました。マスター(オーナー)は当時でも珍しく職人かたぎな方で見て覚えろと言うタイプの人。そんなマスターから教わったのが「サービス業の目的は人を幸せにすること」でした。そしてサービスマンの役割は「お客様のためではなく、お客様が”また”来ていただくため」の言葉。
単にお客様のためなら「安く」「大盛り」にすればいい。でもそれなら機械でもできる。そんな一辺倒なサービスではなく「その価格」「その味」でいかに満足してもらって、また来たくなるか。その雰囲気作りがプロのサービスマンには求められていると。この言葉は私が販売価格を決定するときに今も参考になっています。
農家になったきっかけ
そして私が農家になったきっかけのひとつとしてあるのがオーストラリアへの遊学です。バーテンを3年務めたあと、今で言うところの自分探しでしょうか、海外で住めたら自信になるのではと1年滞在。途中のバイク旅では農作業をお手伝いする代わりに宿泊やご飯を提供してくれるWWOOFというシステムをつかい主にファームステイをしてました。
オーストラリアの農家は農場の面積がとても広いです。ひとつの圃場で地平線が見えるくらい。実際調べてみると農家1戸あたりの耕地面積が日本の農家の平均の1,308倍だということがわかりました。
そんなオーストラリアの農家に少し卑下する感じで、「我が家は本当に規模が小さくて、親父が働きながら稲作をしている兼業農家です」と言ったところ、馬鹿にされるかと思ったんですが逆に「それはなんと素晴らしい、働きながら農業ができるなんて最高じゃないか!」言われました。
考えてみるとそれだけ広大な土地ですからその農家さんから人口5,000人の街まで行くのに車で片道3時間かかる。働こうにも働けない。そう考えると日本は各都道府県に人口密集地の県庁所在地がそれぞれあり、第2、第3の人口密集地がある。
北海道や離島を除いたら日本全国、車で30分も走れば人口1万人以上のところがいたるところにあります。
生産地と販売できるところが近くにあり、全国どこから発送しても国内であれば翌日か翌々日にはほぼ届き、クール便もある宅配便が網羅されている。生鮮品の直売にこんなに向いた国は世界を探しても他にはないのではないでしょうか。
サービス業への思いと積もった疑問
オーストラリアから帰国後、やはりサービス業につきたいという思いが強くありました。
そしてサービス業といえば ホテルだろうということで地元のシティホテルに面接に行きました。無事採用されたのですが、職種が思ったのと違って支配人候補でした。当時そのホテルは全国にチェーン展開して拡大中だったため管理職の人材が不足していたからです。
フロントマンを半年したあと支配人見習いに、そのさらに半年後には支配人として業務することに。最初に思ったサービススキルを磨くというのとは違いましたが、管理職として簿記、経理を覚え、損益計算書の見方を学び、人事の大変さを知り、当時は珍しかった表計算ソフトを使うことができたことが農家になった時にとても活かされました。
ただその会社はとても数字(売上)に厳しく前年対比アップが至上命題。そんな取り組みのひとつとして宿泊のお客様が 予約時間に来なかったらすぐに別の方に転売するというスタイルを取っていました。そのことで遅れてこられたお客様と毎日のようにトラブル。
会社として経営を優先するのは当たり前かもしれませんが「人を幸せにするサービス業としてこんなことでいいのか」そんな思いが積もり積もって3年で会社を辞め帰郷。(最後の勤務地は滋賀県大津)
今度こそ人を幸せにするサービス業を
逃げ帰るように戻ってきた石川。今度こそ人を幸せにするサービス業をしたい、その理想のためには自営しかないと思いました。ただ人口も少ない地元で飲食をやるには無理がある。別のスタイルはないかと思った時に浮かんだのが母の漬物を提供できないかとのことでした。
私の母は定年の60歳まで銀行員だったのですが、現役時代も仕事の傍ら大量にお弁当を頼まれたり、大樽でキムチやへしこ(鯖のぬか漬け)をつくり配るという近所の評判おばさんでした。
その知恵を受け継ぎさらに価値をつけ提供する。その時に思い出したのがオーストラリア農家の言葉がヒントになって思った「日本は直売に向いている」ということ。さらにその原材料である野菜を自分で育てたら地方でも可能性があるのではないかと思いました。
生産、加工、販売を一貫して行う。今で言う6次産業化です。(1999年当時はその言葉は一般的ではありませんでした)ただ兼業農家の息子とは言え、野菜栽培はまったくしてこなかったのでそのようなスタイルで経営している農業法人に1年間研修に行くことにしました。
次回のコラム
西田 栄喜(通称 源さん)
1969年石川県生まれ。大学卒業後バーテンダーに。1994年オーストラリアへ1年間遊学、帰国後ビジネスホテルチェーンにて支配人を3年間勤めた後、帰郷、1999年に「菜園生活 風来」を起業。年間50種以上の野菜を育て、野菜セット・加賀の野菜ピクルスなどホームページにて販売。著書に「小さい農業で稼ぐコツ」(農文協)、「農で1200万円」(ダイヤモンド社)がある。
当該コンテンツは、執筆者個人の経験・調査・意見に基づき作成されています。
