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(石川県『菜園生活 風来』西田栄喜)
はじめまして 私は石川県能美市で自称日本一小さい農家をしております菜園生活 風来(ふうらい)の店主 の西田栄喜(通称 源さん)と申します 。
今につながるご縁〜研修先〜
研修先はまさにご縁。私の場合は本屋で見つけた雑誌で知ったところに突撃で頼み込みました。そしてその研修先のあった地域がたまたま石川農家の先進地帯でした。研修の目的は栽培、加工技術を習得することですが1年や2年で完全に習得できるものではありません。その基礎を学ぶこと、そしてそこでご縁をつかむことが何より大切だと実感しています。今やれているのもその時のご縁があればこそですので。
そんな研修時代の最後に行ったのが、石川県農政課が主体となって行っていたニュージーランド農業研修です。そこで学んだのは「楽することを恐れない」ということ。この体験も今の経営にとても影響を与えています。
研修期間は1年
おぼろげに最初から6次産業的な農業をやりたいと思い、そのスタイルでやってる農業法人を雑誌で見つけ直接連絡し面接を受け研修できることに。研修に行く前から決めていたのは研修期間は1年ということ。その当時私は29歳。バーテン時代の師匠から「30歳までになるまでは何をしてもいい。それまでに一生の仕事を見つけなさい」とのアドバイスがあり、それを思ったからでした。
またはやく独立したいという気持ちもありました。ただバーテンやホテルマンの経験から1年で 技術的なものを身につけるのは無理だろうということは分かってたので、農業機械を操る技術や栽培技術を学ぶというより全体的な流れを学ぼうと画策。
失敗と学び
しかし実際に研修してみると体力的にキツかったのはもちろん、田畑の場所が覚えられず、他の人の田んぼの稲を刈ってしまったり、また農道を慣れない軽トラで移動する時に何度も脱輪してしまうなど失敗の連続で、そんな余裕は最初ありませんでした。
向き不向きという点において、脱輪王という異名をもらうくらい運転や機械の操作に向いてないんだなと実感。そのことで極力機械を持たないミニマム主義農家が生まれたのかと思います。
作業自体は大変なことが多かったのですが、農業はもちろん加工仕事もどのようにするのか全く分からなかった私としては、加工するのに必要な免許や施設、また道具や漬物袋、そして必要なラベルなど知れて本当によかったです。
また研修時代に何より役に立ったのが様々な業者と繋がれたこと。 今はネットで何でも手に入る時代ですがその当時(1999年)は大きなところでいうと大型冷蔵庫や加工に必要な脱気シーラー、小さなところでは漬物袋など、どこで手に入れていいか分からなかったので助かりました。
1年という期限ですので教わるだけでは身につかないだろうと、その農業法人で育てている野菜は自分でも家庭菜園して実践しました。もちろんそれだけでは不十分でしたが、基礎の基礎は習得できたと思います。
ショックだった社長の一言
そしてそんな研修の最後に社長から言われたのが「研修落第、独立しても絶対に失敗する」のひと言でした。かなりショックではありましたが、その悔しさがバネとなって今があるので、研修先として選んでよかったとしばらく経って思うようになりました。
今は経営者としてあの時の社長の言葉の意味がよく分かります。使う方としては技術もないのに質問ばかりしてくるウザイ存在だったと思います。その上で思うのは研修生が社員として優秀なのと独立経営した時にうまくいくのかどうかは別物だということ。与えられた仕事をうまくこなすのも大切ですが、経営者は判断力や瞬発力、実行力が必要となってきます。もちろん両方揃っているに越したことはありませんが。
これから農業を目指している人へ
なので、これから農業を目指している人、現在研修している人に言いたいのは、研修だからこそ自分の将来のためを第一に考えてほしいということ。研修先との相性もありますし、そこのやり方がすべてではありません。そんな風に少し俯瞰することで精神的安定も保て、落ち着いて学ぶことができると思います。
ニュージーランド農業研修
農業研修も終わりかけた頃、石川県の農政課の方からニュージーランドに農業研修に行かないかとお誘いをいただきました。独立したらなかなか海外に行く機会もなくなるだろうし、ニュージーランド自体がとても好きだったこともあり行くことに。
滞在は20日間、そのうち10日間は同じ酪農家さんのところにホームステイしました。酪農は餌やりや清掃に手間がかかる大変な仕事だと思っていたのですが、ニュージーランドにおいては想像したものと全く違いました。
1区画あたり1へクタールはあろうかという牧草地が金網で囲まれていて、その区画が8つ(真ん中に通路あり)。乳牛はその1区画の中で放し飼い。朝と夕の2回、搾乳所につれてきて牛乳を搾るのが主な仕事。苦労するかと思っていた牛の移動は、牛も乳が張っているせいか意外なくらいに言うことを聞き簡単でした。
1つの区画に2週間ぐらい放牧し、隣の区画へ移動させます。その繰り返しで8つの区画を1周する頃には、最初に牛がいた区画の牧草が成長しているという仕組みです。牛に餌をやる必要もないのでその手間が省け、また餌代もかかりません。そして清掃や後処理もなし。搾った牛乳は毎日牛乳メーカーが回収にきて、その量によって後日振り込まれるという仕組みでした。
ホストファミリーの「この仕事は楽だろう」という言葉
そのホストファミリーのお父さんによく言われたのが、「この仕事は楽だろう」との言葉。確かに早朝と夕方の乳搾りもありましたが、昼は時間に余裕がありのんびりできました。
そんな滞在期間中に、ホストファミリーの娘婿夫婦の所にも行かせてもらいました。そこは肉牛農家。そのやり方がなんとも豪快。山のふもとをぐるりと電気柵で巻いて、中からの脱走と外からの害獣の侵入を防ぎます。その山に子牛を放し、成長して出荷できるようになったら4輪バギーで追いたて、トラックに乗せて運ぶという日本では考えられない方法。
そこで誇らしげに言われたのが、「酪農よりもこっちの方がずっと楽だろう」との言葉でした。実際、ニュージーランドでは酪農家の次は肉牛農家になるというのがステップアップと考えられていました。
「楽すること」の学び
その海外研修でいろいろと学ぶことはありましたが、一番大きいのは「楽することをステータスにしてもいいんだ」ということ。日本での農業研修ではとにかく働けば、働くだけいいんだと言われてきただけに、目からウロコが落ちました。
「楽する」というと日本ではあまり良く捉えられませんが、効率化と考えると良いことになります。そしてその時に思ったのが日本人は働いている姿を見せるのが美徳だと思われているのではないかとのこと。特に農業では周囲の目を気にしています。
ニュージーランドの経験も今のスタイルを構成したひとつになります。行けるうちに行っといてホントよかったです。
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西田 栄喜(通称 源さん)
1969年石川県生まれ。大学卒業後バーテンダーに。1994年オーストラリアへ1年間遊学、帰国後ビジネスホテルチェーンにて支配人を3年間勤めた後、帰郷、1999年に「菜園生活 風来」を起業。年間50種以上の野菜を育て、野菜セット・加賀の野菜ピクルスなどホームページにて販売。著書に「小さい農業で稼ぐコツ」(農文協)、「農で1200万円」(ダイヤモンド社)がある。
当該コンテンツは、執筆者個人の経験・調査・意見に基づき作成されています。
