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(茨城県 『マーフィーズファーム』 篠塚政嗣)instagram
僕は、まったく農業のことも知らないままに農家になってしまいました。
なってしまいました、と書くと語弊がありますね。自らの意思で農家に”なりました”
僕は2013年に就農しました。なので2024年で農家12年目になります。12年目というと、世間ではまあまあ中堅の部類に入ると思いますが、こと農家に関しては、12年なんてまだまだヒヨッコもヒヨッコのキャリアです。
だって周りには農家歴50年以上の古強者の先輩がゴロゴロいるような世界ですから。トウモロコシだって白菜だって、僕はまだたったの11回しか育てた事がないんです。そんな世界です。
自己紹介もないまま書き始めてしまいましたが、僕は茨城県で農家をしています。30代後半で就農し、来年50歳になります。畑の規模は全部で1ha、いわゆる1町です。この地域では小規模農家です。
そして就農するきっかけとなったのは「母の実家の後継者の不在」でした。
両親から聞かされた“農家”の話
僕の両親はどちらも実家が農家です。でも両親とも農家は継ぎませんでした。
というか農村地帯では、農家は”華のない仕事”しかも”儲からない仕事”という位置付けで、跡継ぎも「長男だから」とかそういった理由でイヤイヤ継がされる仕事、そんな扱いが多いのではないでしょうか。
僕は両親から”農家”という仕事についてそんなネガティブな話ばかり聞かされてきました。将来の話をするとき、大企業が良いとか、公務員が良いとか、そういった事を言われ続けてきました。
きっと、終戦後の高度成長期に於いて「農家」という存在は時代に取り残された職業、という印象が両親にはあったのかも知れません。農家で生まれ育った際の苦労などもあったんだと思います。
とにかく農家は大変な割には儲からない地味な仕事、という位置付けでした。
「畑を処分するのは寂しい」がきっかけ
当時、母方の祖父は92歳で現役農家でした。92歳で現役だったんです。ビックリです。でも流石に身体を壊してしまい農業を続けられなくなりました。叔父さんもおり、祖父と二人で農業に従事していたのですが、その頃、叔父さんは精神に不調をきたしていました。
このままでは農業を続けられないという話になり、母は実家と畑の処分の検討を始めます。
でも、僕にとっては幼い頃、よく遊びに来たおじいちゃんの家、僕が初孫ということもあってたくさん可愛がってもらった思い出がいっぱいの母の実家です。このまま処分されてなくなってしまうのはなんとも寂しい。
全然分からない農業だけど、出来るところまで挑戦してみたい。それが僕の就農のきっかけです。
焦りもあって、知識なしで就農
就農するにあたって、農業普及センターという所に行って相談もしました。何せ、なんの知識もないまま就農するわけです。
本来なら農業大学校に行ったり認定農業者のところで研修を受けたり、いろいろな勉強をした方が良いに決まっています。
でも、すでに現状で母の実家は農業を続けていけない状況でした。早くなんとかしなければ、そんな焦りもありました。
今思えば、どこかの農家さんで勉強もしつつ、母の実家で実践を重ねていく、というやり方もあったのかも知れません。でも経験豊富な祖父からアドバイスも貰えるし、なんとかなるだろう、そう考えていました。
これが最初の「しくじり」と言われればそうかも知れません。初っ端からしくじっていたのかも知れません。
農業をする前に、ある程度の知識や経験があった方が圧倒的に有利です。これははっきり言えます。僕はそういったものを何も持たずに農家の世界へ飛び込みました。
遠回りをした自覚。けれど無駄ではなかった失敗
全てが分からないことばかりです。祖父や叔父さんから農業の基礎を教えてもらいながら、それでも分からないことや疑問に思うことは本で調べたりネットで調べたりして学んでいきました。
まったくの素人であるが故に、農家からしたら”なんでもないこと”でも僕にとっては不思議に感じたりすることばかりでした。農業って、やってみると不思議なことばっかりなんです。
そして、そんな無知が”なんでもないこと”を自分なりに解釈し、ではこうしたらどうか?こうしたらもっと良い結果が出るのでは?この方が効率がいいのでは?などと試行錯誤を繰り返すきっかけになりました。
実際に経験してみないと納得できない僕自身の性格もあるのでしょう。やってみて「だからそうなのか」と合点がいく事もあれば、「この方が自分に向いているのでは」と感じることなど、様々な発見がありました。
失敗も数多く経験しました。そこから学んだ事もたくさんあります。というかいまだに好奇心に抗えず、セオリーから逸脱して失敗して、そこから学ぶことを繰り返しています。
僕は農業の基礎知識や基本的な技術を学ぶのにかなり遠回りをしたと自覚しています。でも、時間は掛かったけど、その失敗は無駄ではなかった、とも思っています。
祖父は僕が就農した年の3月に、叔父さんは11月に亡くなってしまいます。ここから本当に独学での農家人生が始まりました。
そしてこの後、僕は「農家としての在り方」という壁にぶち当たる事になります。
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